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50歳現役キング・カズの「商品」としての価値とは?

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横浜FCに所属する「キング・カズ」こと、三浦知良選手が、再び社会の熱い視線を、集めている。

 

今、日本で一番輝きを放っている50歳と言っても過言ではない、日本サッカー界の至宝。

Jリーガーの平均引退年齢が25才という中、その倍の年齢でも、なお走り続ける。

つい先日、公式戦でゴールも決めたその姿からは、引退の2文字は、まだまだ先だとさえ感じさせる。

 

その引退だが、トップ・アスリートが現役を退く理由には、何パターンか有る。

例えば、余力は残しながらも怪我や老化、モチベーションの低下等で、トップとしてのパフォーマンスを発揮できずに幕を引く、いわば「引き際の美学」といったようなもの。

王貞治(プロ野球)、千代の富士(相撲)、中田英寿(サッカー)、ここ最近では、バレーボールの木村沙織選手などは代表的な例だろう。

 

その一方で、体が動く限り、灰のように燃え尽きるまで走り抜く者もいる。

著名なところでは、クルム伊達(テニス)、山本昌(プロ野球)、辰吉丈一郎(ボクシング)など。

三浦選手の盟友、“ゴン”こと、中山雅史もこのタイプにあり、また,90年代にキック界のカリスマと呼ばれて一時代を築いた立嶋篤史なども、45歳の今もリングに上がり続ける。

三浦選手も当然後者に入ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

この「灰のように」のアスリートたちの、どこまでも諦めを知らない姿勢は、多くの人の心を打つ。

特に、似たような終焉や逆境が迫っている状況の社会人たちには、もうひと踏ん張りの強力な糧となり、時に励みや心の支えにさえなる。

 

ただ、この種のアスリートは一歩間違えれば、家庭や健康の犠牲や、仕事、収入などの悪化という悪影響の方が、彼らのもたらす好影響を上回ることもある。

また、時に周囲からの慰めや同情といった、プロという「商品」に不要なものさえ引き起こし、その場合にはビジネスライクに言えば「商品」としての価値など殆ど無いようなもの。

厳しい言い方ではあるがプロである以上、そう評価をしないことは、むしろ彼らに失礼に当たるだろう。

 

では、そのシビアなビジネス的な視点で見た時に、三浦選手の「商品価値」は?

 

 

商品価値 ~アスリートとして~


 

三浦選手への評価で聞かれるのは、「点が少ない」「出場時間が短い。」などの声。

もちろんサッカー選手である以上、無視できない大事な要素であるが、精査していくと短絡的にも思える。

 

まず、体力、技術共に、全盛期には劣るものの、レギュラーに名を連ねたり、2016年のある出場試合では走行距離がチームの上位3傑にもなるなど十分にJ2レベルは維持。

50歳という年齢を考えれば驚異以外の何ものでもない。

そして、そのための練習への取り組み方は、ストイックという言葉では凡庸すぎる程の求道さと、繊細で緻密に計算された質の高さの融合。

練習の2時間前にクラブハウス入りして準備、練習後4時間かけてケア、クールダウン。

オフには、年2回のグアムでの長期合宿を独自で行い、体をいじめ抜き、本番への牙を研ぐ。その練習方法も、状況やコンディションに応じた非常に科学的で多岐にわたるもの。

また、コンディショニングのために専属シェフを雇った食事や、睡眠時間や質の管理も徹底して行き届いている。

そのせいか、怪我はあっても必ず修復して、戦線に以前と同等、あるいは進化して復活してくる。

 

 

 

 

 

 

そして、こういった姿勢は団体競技特有の「目に見えない力」として、チームの状態や他の領域にまで大きく影響してくる。

 

カズ選手の姿勢。

プロ意識を啓発されるチームメイトや他チームのサッカー選手の増加。

横浜FCやJリーグ全体のレベルの向上。

 

という波及効果はもちろん、他競技のアスリートや、「俺も諦めるのはまだ早い」と奮起する同世代の、あるいは近い世代の社会人たちも相当数いるはず。そのことで広域に渡る各業界の盛り上がり、経済効果などの大きなうねりをも、もたらす。

 

カズ選手の「アスリート」としての価値だけでも、上記のことが読み取れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

商品価値 ~プロフェッショナルとして~


 

他方、対サポーター、ファンへ「魅せる」という部分での「プロフェッショナル」さにも、徹底的にこだわっている。

 

Jリーグの創世記には、猛烈な練習に裏付けされた華麗で気迫あふれるプレーや、大事な所で必ずゴールを決める神がかり的な勝負強さは観客の心を大きく揺さぶり、完璧なまでの充足感をもたらしてきた。

それに加えて、派手なゴール・パフォーマンスや強気な言動、メディアを通じたファッション、髪型、乗る車、遊ぶ場所などのPRで世間に刺激をもたらしながら「サッカーで成功すれば、これだけ豊かになれるんだ」ということを示し、サッカー選手の地位向上をひと押しも、ふた押しもしてきた。

当時のJリーグチェアマン川淵三郎氏も

 

「カズの存在が無ければ、Jリーグの盛り上がりはもっと遅れていた」

 

と話しているが、それは誰もが認めるところだろう。

 

 

 

 

 

 

ヴェルディ川崎(※1)で共にプレイした北澤豪氏と都並敏史氏も、雑誌「Number」922号で、次のようなコメントを残している。

 

北澤

「お客さんやメディアが何が欲しいかを分かっていて、それを計算してできる。完全なプロフェッショナルですよ。当時はカズさんと二人で飲みに行く時も、運転手を雇って車で店に横付けしたりしていました。15分ぐらいでどんどん店を変えたりして、『俺たちにもそのくらいのことはできるんだぞ』って。ああいうお店にいる人は、ビジネスで成功している人が多いじゃないですか。そういう人への営業というか。そういうセルフプロデュースもカズさんは考えていたから。

都並

「赤いスーツ着ちゃおうか、みたいなね(笑)契約内容が全部、頭に入っているんだよな。それを理解したうえで「仕事」としてそれをやれる。スポンサーを集めて、お客さんを喜ばせて、インタビューもサインもそこに繋がっていくわけだから。」

 

「プロ」とは観客の存在なしには成立しない、「人に見られてナンボ」ということが分かっている。

当時あった「チャラチャラしている」「派手」などの批判も、目を引くための計算という要素も多分にあったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今でも時間の許す限り、練習後や試合後のファンへのサインは、当然の仕事として応じる。

寝起きにコーヒーを飲みに行くだけでもスーツに着替えるという話は昔から有名だが、当初私の持っていた「ずいぶんナルシストだなあ」いう考えも、実は「プロとしてのこだわり」と解釈した方が、正解なはず。

 

また、不調でメディアに叩かれたり、W杯予選での自身の不振からファンに生卵やパイプ椅子を投げられても、

 

「批判されなくなったら終わり」

「暴動が起きるぐらい、サッカーに対して国民が本気になってきた」

 

など、私情に振り回されず、注目されることの重要性をしっかりと認識できる数少ないプロフェッショナルとしての質の高さ。

 

選手の中には、自分の技術を磨き上げることだけに没頭し、「俺の良さは、分かる人だけが分かればいい」「プレイだけを見せればいい」といった「独りよがりな選手」もいて、私もそのタイプは嫌いではないのだが、プロとしては「他人の視線を可能な限り意識し、期待に応えよう」とするカズ選手の方が1枚も2枚も、うわてなのだ。

 

 

50歳を過ぎてもプレイを続けるだけでなく得点も挙げ、国内だけではなく各国のスポーツメディアやFIFAの公式サイトでも大きく取り挙げられる、その注目度は、まさにワールドワイド。

それに加えて一流の役者でさえ、そうそう太刀打ち出来ないほどのルックス、雰囲気。

全てが絵になる。

こんなにも説得力のある商品は、そうそうあるものではない。

 

大正製薬、キリンビバレッジ、東京西川、エースコックなどの複数のスポンサーが付くのも、その彼の「商品価値」の現れであり、これだけのスポンサーがつくこと自体、日本の全アスリートを見渡しても大変稀有なもの。

 

三浦選手のプロとしての「商品価値」は厳しく見積もっても、チーム監督や1タレントとして活動するよりも、50歳を過ぎても尚、現役でいることの方が断然価値が高く、その意味でも、まさにJの生んだ最高のスーパースターなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

エピローグ


最後になるが、私のエピソードであるが、こんなことがあった。

 

 

1年ほど前、広尾と西麻布で、一度ずつ三浦選手を見かけたことがあった。

 

平日の午後。

おそらく、練習を終えた後、あるいはオフ、そういった様子。

道行く人がそれとなく振り返ったり、視線を寄せていたその先に、私も目をやった。

「あっ、カズだ・・」

 

以外な印象であった、

 

 

「荘厳」

「品格」

 

 

TVや雑誌などで見る「永遠のサッカー小僧」「華やか」「人懐っこさ」「ストイック」「笑顔」といった印象とは、また違う雰囲気。

 

正直、少し近寄りがたかった、

ただ、「近寄るな」という排他的なものでは一切ない、近寄りがたさ。

 

不思議な感覚だったが、それが三浦選手の生きてきたバックグラウンドゆえ、つまり、幾多の苦難や試練をも前に何度も何度も潰れては這い上がり、誇りを失わずに前を向き、走り続けてきたから・・、そんな考えが頭をよぎり、合点がいった。

 

今だって、あれだけの眩しい輝きを放った男が、スポーツで絶対的な壁の年齢という限界を前にして、石にしがみつきながら、なりふり構わずに、最後まで諦めずに真摯に取り組んでいる。

しかも辛気臭さや、重い感じ、深刻な感じも出さずに。

だから、余計に心をひかれる。

その荘厳さに。

 

昨年、有名な野球解説者からの「引退勧告」にも、

 

「『もっと活躍しろ』って言われているんだなと思う。『これなら引退しなくていいって、オレに言わせてみろ』ってことだと思う」

 

と感謝の言葉を述べられる、その品格。

 

 

まさに「キング」なのだ。

だから「キング」と呼ばれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

以前彼はこんなコメントを残している。

3・11東日本大震災の際に

 

「サッカーをやっている場合じゃないよな、と思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが『なくてもいいもの』にみえる。医者に食料……、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。」

 

と。

しかし、その一方

 

「でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」のはずだと。・・(中略) とても明るく生きていける状況じゃない。でも、何か明るい材料がなければ生きていけない。」

 

とも述べ、チャリティ・マッチでは、日本中の心に大きな息吹を吹き込んだ彼自身も「生涯最高」と言うゴールを生んだ三浦選手。

 

『なくていいもの』を、自らの努力で限りなく価値のある『あった方がいいもの』へと高めていった彼自身の生き方こそ、「モノが売れない」とうそぶく、殆どのビジネスマンが取り戻さなければならないものではないだろうか?


その三浦選手も、あと10年で60才。

その時にも、彼はボールを追いかけているのだろうか?

 

「さすがに・・」という気持ちは、やはりある。

その一方で「カズなら・・」という考えも私の心に顔を覗かせる。

 

ただひとつ言えること。

それは、還暦のキングが舞う「カズ・ダンス」に酔ってみたいと思うファンは、私だけでは無いはず。

 

10年後にも選手としての三浦選手の「商品価値」に関する記事の第二弾が書けたら・・・・。

そんな静かな期待も込めて、彼のお気に入りの言葉であり、“カズ”HPタイトルにもなっているこの言葉を添えて、ペンを置く。

 

 

「BOA SORTE(ボア ソルチ)」

 

(GOOD LUCKという意味の仲間を激励し、健闘を誓う言葉)

 

 

 

 

 

 

 

 

*敬称略

参考文献:雑誌Number922号 文藝春秋

三浦知良オフィシャルサイト – BOA SORTE KAZ

 

※1 ヴェルディ川崎・・現東京ヴェルディ(J2)の前身のチーム名。Jリーグ創成期に、多くの有名選手を抱えた強豪チームとして、人気、実力ともに非常に高かった。

 

 

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